2023年度東京都市大学等々力中学校・高等学校
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南 みなさんが本校を受験した理由を教えてください。辻 英語の取り出し授業を行う「αクラス」があること、そして父が「TQノート」を見て感銘を受けたことが理由です。僕たち家族は父の仕事の関係で小1から小6年までアメリカで暮らしていました。僕は現地校で学んでいましたが、日本人学校に毎週通っていたので日本語を忘れることはありませんでした。小6で英検1級に合格していたため、公立の中学校に進学したら、アルファベットから英語の授業を始めることになり、アメリカで身につけた英語力を活かせなくなります。そこで、さまざまな私立の一貫校を見学して吟味した結果、この学校に巡り会うことができ、帰国生入試で受験しました。特選GLクラスに入るという選択肢もありましたが、日本の大学に進学したかったので、一般のクラスにしました。大内 勉強に集中できる環境が整っていたため、この学校なら自分の力を伸ばせるのではないか。そう思って受験しました。 また、部活動が盛んなところも魅力でした。僕は中学ではバスケ部、高校では軽音楽部に入っていました。軽音楽部での担当はドラムです。網田 私も辻くんと同じくアメリカからの帰国生で、向こうでは現地校に通っていました。滞在期間は、小2から小4までの2年間です。英語でコミュニケーションすることが大好きだったので、帰国してからも近所の英会話学校に通っていました。 そこで、英語教育に力を入れている一貫校に進学したいと思っていたところ、都市大等々力に目が留まったんです。「αクラス」があり、音読が重視され、国際交流も盛んな学校と知って受験しました。部活動は吹奏楽部に入りました。担当はフルートです。クラスは大内くんと6年間ずっと同じでした。上原 みなさんはどのような目標を抱いて、最難関の志望大学をめざしましたか?辻 東京大学は国内で最も設備の整った大学です。そのために、中1の頃から東大進学を意識して勉強していました。理科一類を選んだのは、プログラミングやAIに興味があり、その研究や開発に携わりたかったためです。大内 僕は史学や文学、また社会学にも興味がありました。法学を選んだのは、歴史から経済まで幅広い分野を包括した学問であることです。一橋大学を受験したのは、歴史と伝統のある大学であり、アカデミックな雰囲気にも魅力を感じたからです。網田 幼稚園の頃から私の夢は小学校の先生になることでした。私は弟がいます。その弟が小4の時から小学校で英語の授業が始まりました。弟の話を聞いているうちに、小学生に英語で会話することの素晴らしさを伝えたいと思い、小学校の英語の先生になろうと決心しました。「英語は文法や単語を覚えるのが大変で、つまらない」。そんな声を耳にするたびに、私は寂しくなります。小さい頃から英語が通じる楽しさにふれていれば、私のように英語が大好きになり、自分の世界や可能性を大きく広げてくれると思うからです。 そこで、小学校の英語の教員免許が取得できる東京学芸大学の初等学校教員養成課程英語専修を受験しました。この大学は多くの優れた教育者を輩出しているためです。南 3人とも塾や予備校には行かず、本校の授業や講座に一生懸命に取り組んでいました。みなさんの真剣な眼差しが印象に残っています。では、みなさんは志望校合格に向けて、どのような努力をしましたか?辻 中1の時から「TQノート」を使って学習計画を立てて、それに従って勉強していました。予定を細かく書き出すことで、すべての科目をバランスよく今年の春、辻さんは東京大学に、大内さんは一橋大学に、網田さんは東京学芸大学に合格。そこで、3人に中高時代をどう過ごしたかなどを語ってもらいました。聞き手は、南教諭と上原教諭です。南教諭は3人が中1の時から社会を教えるとともに、学年主任として高1まで指導。また、大内さんと網田さんが高2と高3の時の担任を務めていました。上原教諭は大内さんと網田さんの中1の時の担任。3人が中3の時に理科を、辻さんが高2と高3の時に化学を教えていました。18「TQノート」に感銘を受けた父にも勧められて受験プログラミングやAIの研究や開発に携わりたい貴重な体験を積み重ね、部活動や行事に励み、友情を培いながら、気高い志を胸に歩んだ日々。英語で会話する楽しさを子どもたちに伝えたくて東京大学、一橋大学、東京学芸大学に現役合格3人が都市大等々力での6年間を振り返る

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